4月12日深夜放送の「ナカイの窓 お久しぶりSP」に元19(ジューク)の岡平健治(ケンジ)さんが出演します。
19といえば現在30代の人たちはまさに青春時代に活躍していたので、懐かしさを感じる人も多いのではないでしょうか?
私も友人たちと毎日カラオケでケンジの動きを真似しながら歌っていた記憶があります(笑)
そんな19のケンジさん。いったいどんなことを語るのでしょうか?
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19(ジューク)とは?
19(ジューク)は1998年から2002年まで活動していた岡平健治(ケンジ)と岩瀬敬吾(ケイゴ)によるフォークデュオです。
デビュー当時はイラストレーターの326(ミツル)が作詞とビジュアルプロデュースを担当しメンバーとして参加していましたが1999年に脱退しています。
1999年に発売された「あの紙ヒコーキ くもり空わって」がヒットし、同年にはNHKの紅白歌合戦にも初出場を果たしました。
ケンジが歌う際の独特な動きやケイゴの伸びのある歌声、2人の作るバラエティーに富んだ楽曲が中高生に支持され、解散まで数々の名曲を生み出しました。
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中居くんを恩師と呼ぶきっかけは「うたばん」?初登場で号泣!
19がブレイクした一番のきっかけとなったのは、当時中居正広さんと石橋貴明さんの司会で大人気だったTBS系列「うたばん」への出演でした。
1999年「かくし玉」として初登場した彼らは、初のゴールデンタイムの全国ネットの番組出演で極度の緊張状態でした。
あまり面白い受け答えもできず、番組も進んでいった後半で事件が起こりました。
高校卒業後、家出同然で大阪に出て中華料理店で住み込みで働きながら音楽の道を目指していた健治でしたが、その中華料理店の店主がVTRで登場するというサプライズが用意されていたのです。
これを見たケンジは思いを抑えられなくなり号泣してしまいました。
その姿は当時の若者たちの間でとても話題になり、翌日のオリコンチャートではトップ10入りを果たしました。
以後うたばんには何度も出演し、無茶苦茶な誓約書にサインさせられたり、その誓約書が解散まで飾られていたりと、19にとっては「うたばん」なしではその活動を語れないほどです。
そんな番組のMCをつとめていた中居さんのことを恩師と呼ぶのは自然な流れだったようです。
人気絶頂期の月収と現在の資産は?
うたばん出演を機に大人気アーティストとなった19ですが、当時は給料制で、CDがどれだけ売れても月収は10万円ほどだったそうです。
これはケンジさんだけでなく326さんもそのように言っているので3人ともお給料の額は同じだったようです。
そして給料制から歩合制になった途端に5000万円という印税が入ってきたのだとか!
当時はカラオケも全盛期でしたし、ケンジさん自ら作詞作曲もしていたので、このような金額になったのでしょうね。
そして19解散後、そのお金をもとに投資に挑戦したところ大成功!
総額数億円ともいわれる自社ビルをはじめ、故郷の広島にもビルを建てるほどの実業家となりました。
現在は音楽レーベルや飲食事業、ライブハウスの経営などに携わり、年商はなんと2億円とのことです!
実業家としても大成功を収めていますね。
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19(ジューク)の突然の解散の理由とは?
19は2002年突然解散を発表しました。
「それぞれの未来への可能性と音へのこだわりを持ち続けるために別々の道を歩もう」と解散に至った、と当時本人たちのメッセージとして書かれています。
メディアは「お互いの音楽性を尊重するため」ということを解散理由としていました。
確かに2人の作る楽曲はテイストが全く異なっていた(ケンジはロック中心、ケイゴはフォーク中心だった)ため、この理由は説得力がありました。
しかし実際はこれだけではなく、お給料の件からもわかるように「事務所とのトラブル」も解散理由の一つだったと言われています。
まとめ
19の解散から15年が経ちますが、昔の恩を忘れず登場してくれるところを見ると、ケンジさんの純粋さは変わっていないようですね!
実業家として大成功を収めていながらも岡平さんの本業はあくまで音楽ということ。
解散については「正直後悔している」とも以前番組で語っていましたので、これを機にまたケイゴさん326さんとの活動を見てみたいものです。
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